「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)
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「エコノミック・アニマル」は褒め言葉だった―誤解と誤訳の近現代史 (新潮新書)本ダウンロードepub
によって 多賀 敏行
3.8 5つ星のうち16 人の読者
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内容紹介 マッカーサーの「日本人は12歳の子供である」という発言や、「エコノミック・アニマル」「ウサギ小屋」といった言葉は、日本人をネガティブに評する際に使われる決まり文句である。 しかし、実はこれらの言葉に批判的な意味はなかった。 日米開戦のきっかけになった誤訳、ダイアナ妃の招いた誤解、世界には通じない「グローバル・スタンダード」の意味等、近現代史のさまざまな場面での誤解、誤訳を紹介する。 内容(「BOOK」データベースより) マッカーサーの「日本人は十二歳の少年」という発言や、「エコノミック・アニマル」「ウサギ小屋」といった言葉は、日本人をネガティブに評する際に使われる決まり文句である。しかし、実はこれらの言葉に批判的な意味はなかった。日米開戦のきっかけになった誤訳、ダイアナ妃の招いた誤解、世界には通じない「グローバル・スタンダード」の意味等、近現代史のさまざまな場面での誤解、誤訳を紹介する。 抜粋 まえがき 過去の歴史を振り返るとき、その時代の人々の物の見方に決定的な影響を与えた言葉がある。一つの時代を生きた人々の間に共通して記憶され、その言葉を想起することによりその時代の人々の生活ぶりが鮮明に蘇る、そんな時代を特徴付ける言葉がある。 しかし、これらの言葉の中には往々にして、最初に使われた時の正確な意味合いを殆どの人が知らないというものがある。マッカーサー連合国軍最高司令官の「日本人は十二歳の少年である」との発言、あるいはブット・パキスタン外相の「日本人はエコノミック・アニマルだ」という表現はまさにそのような言葉である。 本書をお読みになればわかることだが、その起源をつぶさに調べてみると「日本人は十二歳」という発言には、日本人の幼児性を揶揄するような意味はまったくなかった。 ところがその後今日に至るまで多くの日本のジャーナリストや評論家によって、日本人を精神的に未発達であるとして、したり顔で批判する際の権威付けとして引用され続けている。この発言をジャーナリストや評論家に引用され、「だから日本人は駄目なのだ」と言われると読者は当時の最高権力者マッカーサーの威厳に満ちた顔を思い浮かべ、シュンとして「その通り日本人は駄目です」と思い降参してしまう。 「日本人はエコノミック・アニマル」という発言もマッカーサー発言と同様、発言者の意図とは反対の方向に誤解されて人口に膾炙したものである。これに至っては、批判どころかむしろ褒め言葉として発言されたものであったと言ってもよい。しかしこの言葉は今でも日本人論、日本論で多くの識者によって自虐的な意味合いで頻繁に使われ、議論の方向を決定づける言葉となっている。 このように日本人を侮蔑したとされる言葉の中には、誤解や一方的な思い込みの結果であるものが多い。自分たちのことを批判あるいは侮蔑すると思われる言葉が本当にそのような内容なのか、出典に帰って十分検証してしかるべきだと思われるのに、どうしたことか、殆どの人が立ち止まって検証することなくいわゆる孫引きの形で何度も繰り返し引用する。その結果、間違った意味で日本社会に定着してしまっているわけである。これは大変残念なことである。 私事で恐縮だが私は外務省に入り三十年になる。その大半を外国で暮らして、外交の一端を担う仕事をしてきた。そのような立場から多くの外国人と接触を持つ。出会う人々は政府の高官から街角のキオスクで働く人まで様々である。 私は「日本あるいは日本人が外国人によってどう見られているのか」という疑問をかねてより抱いていた。大学時代、いやもっと以前の子供の時から気になっていた問題である。 大学を卒業し、社会人になり外務省に入り、外国に長く住むようになって気づいたことは「日本や日本人は多くの外国人から一目置かれ、それなりに高く評価されている」ということである。日本国内で思われているよりも、日本は外国で遥かに高い評価を受けているということである。多くの外国人の目には日本は古い歴史と文化を持ち、国際社会で大きな影響力を持つ立派な国と映っており、多くの場合日本人は礼儀正しく、勤勉で誠実で好感が持てる人々であると見られている。 それまで日本の新聞、雑誌などで「日本人は世界中で嫌われている」と繰り返し聞かされてきたので、これは私にとって意外な発見であった。嬉しい発見であった。 次の瞬間、日本のメディアはどうしてそのことを報じないのだろうか不思議に思った。恐らくマスメディアの性として良い話は報道したくないのだろうと思った。 自己肥大、傲慢に陥るのも良くないが不必要に自虐的になるのも国民の健全な精神の発達にとって望ましくないと思う。 本書に集めたいくつかのエピソードが、読者の皆様に自然体の気持ち、つまり卑屈になったり自虐的になったりすることなく、だからといって尊大、傲慢にもならない、普通の気持ちで日本、日本人を捉え直す一助になれば幸いである。 また、本書では歴史の局面で現れたある言葉を巡る誤訳や誤解がその後の歴史の流れにいかに大きな影響を与えたかということを示すエピソードもご紹介している。本書を、幾つかの言葉を検証することによって行う、過去及び現代をめぐる歴史散歩の書として読んで頂ければ幸いである。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 多賀/敏行 1950(昭和25)年三重県松阪市生まれ。一橋大学法学部卒業。ケンブリッジ大学法学修士号取得。74年外務省入省後、在マレーシア大使館、国連日本政府代表部勤務。在ジュネーブ日本政府代表部公使などを経て、在バンクーバー総領事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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エコノミック・アニマルもウサギ小屋も,欧米諸外国の人々が,日本人を嘲った言葉だとばかり思っていました。発言者の思いとは全くかけ離れていた誤訳や誤解だったなんて・・・本書を読んで初めて知りました。「言葉の壁」って,相手の言っていることがわからないとか,しゃべれないとか,そういうことだと思っていたんですけど,辞書を引いて用語の意味がわかっても,その言葉が内包しているニュアンスとか背景がわからないと,とんでもないことになってしまうんだ,ということを痛感させられます。コミュニケーションとは本当に難しいものですね。そう言えば,最近では,同じ日本語を話す日本人同士の間でも,こうした誤解が多いように思います。例えば,「草食男子」は,仕事にも異性にも消極的で,極めて内向的な若年男性を指すネガティブな表現で使われていますけど,この言葉を考え出した深澤真紀さんによれば,職場内でも地域でも波風立てずに協調的にやってゆける若者のことを指すポジティブな表現だったのに,いつの間にか,その本来の意味は完全に忘れられている,と。現代人は,どうもあくせくし過ぎて,深く考えずに表面的な印象だけで物事をとらえる悪い傾向がある・・・と,反省する次第。しかし,笑える話ならまだ良いのですが,相手国の言葉についての理解不足や誤訳が,多くの人々の人生や生活,命を左右したとなると,痛恨の極みと言わざるを得ません。それが「暗号電報誤読の悲劇日米開戦前夜」です。もし,電報誤読がなければ,開戦を回避できたとすれば・・・・歴史を変えることはできませんが,同じ過ちを繰り返してはいけないと思うのは僕だけではないはずです。コンパクトで読みやすく,丁寧な分析で本質を突いた良書です。
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